父親の記憶

今週のお題「父との思い出」...。
私には、父との思い出がありません。
私の両親は、私が高校の卒業を控えるその少し前に離婚をしました。
父の仕事の関係で子供のころは転勤が多く、その頃、私たち家族は福島市に住んでいました。
確かその数年前から父は盛岡に単身赴任をしていたのだと思います。
高校生になって、年相応に父との距離を置いていたので、父が単身赴任してたまにしか福島の家族に会いに帰って来ないことに、何の違和感も感じていなかったのだと思います。
父が家族に会うために帰ってくる間隔がだんだんと長くなり、そのうち帰ってこなくなったことにも鈍感になっていたのだと思います。
今は、どうしてそうなったのか全く思い出せないのですが、母とふたりで盛岡に住んでいるはずの父に会いに行くことになりました。
その時母とどんな話をして、どんな経緯で出かけたのか...その記憶さえ今は思い出せないのですが(「私も行く」と自分で言ったような気もします)、母とふたりで新幹線に乗り、盛岡で父が暮らす家を訪ねました。
盛岡市内を流れる大きな川の土手沿いにある小さな古い長屋形式の平屋の賃貸住宅に到着し、そこで父親と久しぶりに対面したことだけは覚えています。
そこで会った父は、私が知っている父ではありませんでした。
普段着で現れた父の姿に、当時高校生だった私は話す言葉さえ見つからず、
母と父が立ち話をするのをぼんやりと眺めていた記憶があります。
それが短い時間だったのか長い時間だったのかさえ覚えていません。
私が唯一記憶する父は、とてもオシャレに気を使う人でした。
それこそ小学生のころ、お友達に「みゆちゃんのパパ、格好いいね」と言われ、少し自慢の父でした。
でも私の前に現れた父は、オシャレどころか昼間なのに仕事にも行かず、くたびれたシャツを着た何か哀れな姿の父でした。
「もう私の父親ではない」と、父親と決別した瞬間でした。
その時から私は父の記憶を、自分自身で消したのだと思います。
あの時、盛岡で見た父の姿さえ、記憶から消し去りたいとずっと思っていたのだと思います。
あの時、母も自分の気持ちに決着をつけるため父に会い、離婚という道を選んだのだと思います。
父と会った後、本当は日帰りで帰るはずだったのに母は何故か、「みゆちゃん、温泉にでも泊まろうか」と私を誘い、近隣の温泉宿に1泊して帰ってきました。父の話をすることもなく...。
あれから長い年月が経ち、母がすぐには帰らずに1泊して帰ろうと言った気持ちも何となく理解できるような気がしています。
あの時から、私に父親はいなくなりましたが、残った母が私に何の苦労もさせず、一生懸命にに働き、今も元気でいてくれることに感謝をしています。
そして、あの時から父のことを誰にも話したりしたことのない私自身もこれを書くことによって、気持ちがらくになったように感じます。